赤穂浪士元禄時代と言えば、赤穂浪士かな?あれほど日本的な物は無いけど・・・あれほど事実と違うのも珍しい 最初は吉良上野介と浅野内匠頭の争い? あれも、完全に浅野内匠頭が悪い あの儀礼は、朝廷からの使者を迎える儀式 上席の吉良が現場責任者の浅野に教えるたが短気な浅野が勘違いしたから起きた 本社の人間と現場の人間との考え方の違い、そう解釈すれば判りやすい 現実に吉良上野介の地元の評判は良いし、浅野は評判が悪い まして、刃物を振り回すなら切腹も当たり前 これに対応する大石内蔵助・・・これはもっと出来が悪い 家が取りつぶされても、蓄えで京都で遊んでいる ドラマでは、わざとバカ振りをしていたと言うけど違う^^ はてさて、藩が潰れたから家臣は就職活動 でも、新規に召し抱える所など無い! 当時は、平時であり藩を潰すと言う考えが幕府にあったから浪人は溢れていた そこで考えた、仇討ちをしたら召し抱えてくれる所があるかも・・・ 短絡的ではあるけどなあ 討ち入りの時の火消し姿・・・あれは、あり得ない 何故なら金も無いし、あの格好なら木戸番に見つかってしまう 当時の警戒は信じられないほど厳しかった 隣組制度まで活用して、相互牽制をしていたから 実際は普通の姿で、死んだ場合に備えて襟に名前を書いただけの話 決して格好良くない 無事に仇討ちが成功して預かりの身分になると、大当たり~~ 各藩から召し抱えたいと多数の申し出・・・ここ迄は計算通り 各藩にしても、理由はどうであれ主君の仇討ちをする立派な家来!! でも、幕府もバカでは無い 現代社会でも、こんな事をしたら許されない反社会的な行為だから 結果は切腹 これを聞いた赤穂浪士の狼狽ぶりは無い 逃げだそうとする者、寝込む者 切腹では誰一人も腹を切らなかった、恨み節を言って死んでいった 大石主悦など、刀の代わりに扇子が置かれたと言う これについては、当時の証言が残っている では、何故こんなにもてはやされたのか? 元禄時代はバブル時代と同じ、平和でのんびりした時代であった そこに仇討ちと言う事件が起こったからには興味の対象 この事件を題材に、芝居が始まった 芝居であれば、勧善懲悪をしなくてはいけないから吉良が悪役に座る そして、討ち入りも派手にしようという事になった 丁度、浅野内匠頭は大名火消し組を持ってた それが、くっついて芝居化されたという事 まあ、日本人好みの判官贔屓 |